東京の某大学に通う大学生の、日々思ったことのメモ帳でした。更新停止中。
since 2007.4.19
おやくそく
このページに書かれていることを試した結果いかなる不具合が発生したとしても、PINGU♂は一切責任を負いません。あらかじめご了承ください。m(__)m
特に、レジストリ操作など下手をすれば簡単にシステムを壊してしまうようなことも
平気で書くと思うので、よくわからないと思ったことに手を出すのは控えてください。
基本的には自分で実際に試したことしか載せないので最悪の事態はそうないと思いますが、念のため。
またもし、これってまずいんじゃね?ということを言っていたらご一報いただけるとありがたいです。
…被害者を増やさないためにw
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アニメのレビューなんて書いたことがないし、これからもそうそう書くことなんかないだろうけど、どうしても書きたかったので書いてみることにします。
CLANNAD。昨日は第八話「黄昏に消える風」。風子シナリオの大きな山場です。
前回の次回予告を見て、今回を非常に楽しみにしていました。早苗さんが風子を迎える場面。ちょっと変わっているとは思いますが、個人的にCLANNADのゲーム中で他のどのシーンと比べても一番心が打たれたシーンでした。
ゲーム内の描写では胸に、山ほどのパンを抱えて風子を迎えます。(斜体はゲーム内の引用です)
「あ、また、わたしのパンを食べてくれますか」
風子が返事をしていないのに、慌てて、トレイの前まで走る。
「いくつですかっ…たくさんですかっ」
(中略)
胸に、山ほどパンを抱えて、こちらを振り返る。
その中からひとつを掴んで、差し出す…
まったく…見当違いな方向に。
腕からぼろぼろと、パンが転がり落ちた。
(中略)
そして早苗さんは何もない空間を抱きしめ続けます。
風子が微笑む。
優しさに包まれて。
なんて、この家は優しかったのだろう。
ゲーム内で早苗さんは多くを語りません。それでも、必死さと優しさがひしひしと伝わってきて、非常に心が打たれるのです。
アニメでこの場面がどのように表現されたかというと、パンの描写はなし。それはともかくとして、病院のくだりをしゃべり出して見えないんです、忘れていくんですと言い出したのはどうかと思うのです。
何が言いたいのかというと、本来映像と音声が使えるアニメにおいてキャラクターの心情描写は圧倒的なアドバンテージを持っているはずです。そんな中で「キャラクターのセリフによって状態を説明させる」のは、もっともするべきではない表現方法だと思うのです。「見えない」「忘れていく」などといったことはゲーム内ですら明示されてはいません。それがあろう事かセリフでだらだらと説明させるとは…
初めて京アニ版Kanonを見たときプロローグ部で非常に心が打たれました。美しい映像と原作に忠実な作りに感動したのは言うまでもないのですが、今にして思うとあれは間の取り方が秀逸だったと思うのです。
時間的に非常に厳しいCLANNADでは間を取るという表現を使うこと自体が非常に辛いのはわかります。それでも、今回のシーンははもう少し別な表現ができたのではないかと思うのです。一番思い入れが深かった場面なので、ちょっとがっかりでした。
CLANNAD。昨日は第八話「黄昏に消える風」。風子シナリオの大きな山場です。
前回の次回予告を見て、今回を非常に楽しみにしていました。早苗さんが風子を迎える場面。ちょっと変わっているとは思いますが、個人的にCLANNADのゲーム中で他のどのシーンと比べても一番心が打たれたシーンでした。
ゲーム内の描写では胸に、山ほどのパンを抱えて風子を迎えます。(斜体はゲーム内の引用です)
「あ、また、わたしのパンを食べてくれますか」
風子が返事をしていないのに、慌てて、トレイの前まで走る。
「いくつですかっ…たくさんですかっ」
(中略)
胸に、山ほどパンを抱えて、こちらを振り返る。
その中からひとつを掴んで、差し出す…
まったく…見当違いな方向に。
腕からぼろぼろと、パンが転がり落ちた。
(中略)
そして早苗さんは何もない空間を抱きしめ続けます。
風子が微笑む。
優しさに包まれて。
なんて、この家は優しかったのだろう。
ゲーム内で早苗さんは多くを語りません。それでも、必死さと優しさがひしひしと伝わってきて、非常に心が打たれるのです。
アニメでこの場面がどのように表現されたかというと、パンの描写はなし。それはともかくとして、病院のくだりをしゃべり出して見えないんです、忘れていくんですと言い出したのはどうかと思うのです。
何が言いたいのかというと、本来映像と音声が使えるアニメにおいてキャラクターの心情描写は圧倒的なアドバンテージを持っているはずです。そんな中で「キャラクターのセリフによって状態を説明させる」のは、もっともするべきではない表現方法だと思うのです。「見えない」「忘れていく」などといったことはゲーム内ですら明示されてはいません。それがあろう事かセリフでだらだらと説明させるとは…
初めて京アニ版Kanonを見たときプロローグ部で非常に心が打たれました。美しい映像と原作に忠実な作りに感動したのは言うまでもないのですが、今にして思うとあれは間の取り方が秀逸だったと思うのです。
時間的に非常に厳しいCLANNADでは間を取るという表現を使うこと自体が非常に辛いのはわかります。それでも、今回のシーンははもう少し別な表現ができたのではないかと思うのです。一番思い入れが深かった場面なので、ちょっとがっかりでした。
2008.2.16 追記
第十八話「逆転の秘策」を見ました。素晴らしい。これですよ、これ。映像と音楽に重きをおいて物語を展開していくこれこそがアニメの神髄だと思うのです。
具体的にどこがよかったかというのは、俗に言う杏・椋・智代のフラグ折り部分なのですが、智代の件はさることながら特筆すべきは杏の扱いだと思います。
アニメのみで全体を見て考えると、杏の朋也に対する想いというものを描写する場面はほとんどありません。前回の体育館倉庫イベントでそれらしく匂わせてはいるものの、ギャグが主体になっているので相当に薄められています。
一方で原作をやればわかるように杏の朋也に対する想いは…というわけで、杏シナリオに入るわけにもいかないアニメにおいてあの締め方は着地点として非常によかったと思います。BGMに「オーバー」(原作で杏のテーマソングとして流れる曲をもとに作られたボーカルソング#クラナドイメージボーカルアルバムソララドに収録)が使われていたのが秀逸。アニメの構成上表現することのできない杏の朋也に対する秘められた想いを映像と音楽によって十分に表現出来ていたのでよかったです。
第十八話「逆転の秘策」を見ました。素晴らしい。これですよ、これ。映像と音楽に重きをおいて物語を展開していくこれこそがアニメの神髄だと思うのです。
具体的にどこがよかったかというのは、俗に言う杏・椋・智代のフラグ折り部分なのですが、智代の件はさることながら特筆すべきは杏の扱いだと思います。
アニメのみで全体を見て考えると、杏の朋也に対する想いというものを描写する場面はほとんどありません。前回の体育館倉庫イベントでそれらしく匂わせてはいるものの、ギャグが主体になっているので相当に薄められています。
一方で原作をやればわかるように杏の朋也に対する想いは…というわけで、杏シナリオに入るわけにもいかないアニメにおいてあの締め方は着地点として非常によかったと思います。BGMに「オーバー」(原作で杏のテーマソングとして流れる曲をもとに作られたボーカルソング#クラナドイメージボーカルアルバムソララドに収録)が使われていたのが秀逸。アニメの構成上表現することのできない杏の朋也に対する秘められた想いを映像と音楽によって十分に表現出来ていたのでよかったです。
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